Tuesday, July 23, 2019 10:31 AM

原爆写真、初公開に反発 米政権、日本の世論警戒

 米政府が日本に投下した原子爆弾と同型の原爆の写真を1960年12月に初めて公開する過程で、米中央情報局(CIA)長官や国務省幹部らが公開に反発し、公開後も懸念を示していたことが23日までに、機密解除された米公文書で明らかになった。米政権が当時、日本で広がっていた反核世論に危機感を抱いていた状況がうかがえる。

 冷戦時代、米政府は旧ソ連の核開発を警戒し、軍事情報の機密保持を重視した。しかし、原爆投下に関する情報の公表を求める米議会やメディアの圧力を受け、60年12月6日、45年8月6日に広島に投下した「リトルボーイ」と、9日に長崎投下の「ファットマン」と同タイプの原爆の写真を初公開。日本のメディアでも大きく報じられた。

 公開に先立ち、CIAのダレス長官(当時)や国務省幹部らで構成する「工作調整委員会(OCB)」が開いた会合の内容を記した覚書によると、OCBは59年3月4日、米下院議員の「原爆模型をスミソニアン協会(の施設)に展示する」との提案に対し、「この種のいかなる行動も不適切な心理的影響がある」として認めない方針を確認。2週間後の会合では、写真も模型と同様、展示を「避けるべきだ」と結論付けた。(共同)