Wednesday, August 21, 2019 11:05 AM

明治天皇の皇城図発見 焼失4年前に使節作成

 1869(明治2)年に明治天皇の住まい「皇城」(旧江戸城西丸)でオーストリア・ハンガリー帝国使節団が天皇と謁見した際、詳細な見取り図を作成していたことが21日分かった。見取り図は手記と共にオーストリアで保存されていた。皇城は73年に火災に遭い、皇城に関する文書なども焼失。元宮内庁書陵部編修課長の岩壁義光氏は「当時の記録として、謁見の場所を具体的に描いた視覚的な史料は見たことがなく、一級の史料だ」としている。

 見取り図と手記はリンツ市司教区文書館にあり、同市郊外シュタイレック城の宮田奈奈研究員とドイツ・ボン大のペーター・パンツァー名誉教授が調査で確認した。手記には謁見4日後のピアノ御前演奏の様子も描かれ、明治天皇の素顔の一端がうかがえる。

 皇城は二重橋(正門鉄橋)に近い現在の宮殿の南側にあった。見取り図は、皇城の玄関から謁見に使われた大広間(手記によると500平方フィート=約46平方メートル)を描写。天皇が謁見時に用いた御帳台や雅楽奏者、グランドピアノなど贈り物の位置のほか、使節団が茶菓の接待を受けた殿上の間も描かれていた。(共同)