Monday, August 01, 2016 10:21 AM

元横綱千代の富士が死去 優勝31度、国民栄誉賞

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇り、1989年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱千代の富士の九重親方(本名秋元貢=あきもと・みつぐ)が7月31日午後5時11分、膵臓がんのため東京都文京区の病院で死去した。61歳。北海道福島町出身。葬儀・告別式は7日正午から東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋で。喪主は妻久美子(くみこ)さん。

 70年秋場所で初土俵。精悍な顔つきから「ウルフ」の愛称で人気を集め、81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。体重120キロ台の小兵ながら筋肉質の体で左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで昭和から平成にかけて一時代を築き、「小さな大横綱」と称された。昭和以降3位の53連勝など数々の記録を残した。

 91年夏場所限りで現役を引退後、92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育て、2008年に初めて日本相撲協会理事となり、以降は事業部長や審判部長などを務めた。(共同)

■九重部屋は深い悲しみ 「ご苦労さん」と元師匠

 大相撲で史上3位の優勝31度を誇り「ウルフ」の愛称で親しまれた元横綱千代の富士の九重親方=本名秋元貢、北海道福島町出身=が膵臓がんのため61歳で急死してから一夜明けた1日、東京都墨田区の九重部屋は深い悲しみに包まれた。現役時代の師匠で解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)が弔問に訪れ、約10分対面した。

 北の富士氏は、早過ぎる弟子の死に「ご苦労さんしか(言葉は)ない。素晴らしい弟子に恵まれた」と話した。「千代の富士は千代の富士。豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほどでもない。涙もろくてね」と故人をしのび、印象に残った一番に、連勝が53で止まった1988年九州場所の大乃国戦を挙げ「僕は一番悔しかった。本人はけろっとしていたけど」と述懐した。

 部屋の前には一般客のための記帳台と献花台が設置された。小兵ながら筋肉質な体格からくり出す豪快な相撲でファンを魅了。昭和以降3位の53連勝をマークし、史上初の通算千勝も達成した。国民栄誉賞を受賞するなど、昭和から平成にかけて国民的スターとして活躍した。(共同)